黒帯〜極真空手の黒帯になるための徹底ガイド〜
 
 
 
 管理人・左衛門 極真空手修行記

左衛門 極真空手修行記 リスト



トップページに戻る

 昔の仲間たち  左衛門極真空手修行記(2017/1)


私は転勤族で、いくつもの道場を渡り歩いてきましたが、その関係で日本全国のいろいろな道場で共に汗を流してきた仲間がいます(自分で仲間だと勝手に思っている)。

先日、15年前に所属していた支部のホームページを見たら、当時青帯だった後輩が昇段審査を受けている写真が紹介されていた。
確か、私が緑帯から茶帯に昇級したときにオレンジ帯から青帯に昇級したはず。
その後輩が、空手を続けていたことも嬉しかったが、無事に昇段審査を受けていたことが嬉しくもあり、対戦相手を務めた仲間も懐かしいメンバーだった事がさらに嬉しく、懐かしい想いが蘇ってきた。

その当時、私は30代になったばかり。
格闘技ブームだった時期でもあり、毎週のように多くの入門者や見学者がいた時期だった。
その時期だと50人入門して20人が青帯まで残り、その中の5人くらいが緑帯まで残るくらいだったか。
茶帯まで残るのは1人か2人だったと思う。

私の記憶によるとその当時、ヤンキーや元ヤンキーで、ケンカが自慢と言う入門者もいた。
しかし、基本稽古だけで吐きそうになっていた。
煙草を吸ったり不摂生な生活をしてきた訳だから当然だろう。
移動稽古やミット稽古までついて来れない。
スパーリングになるとどんなにケンカが強くても青帯の連中にボコボコにされていた。
緑帯には手も足も出せなかった。
極真空手の道場とはこういうものだろう。

そんな中で、今もなお空手を続けていて、今回黒帯に挑戦した後輩がいる事が嬉しく思う。
私も黒帯になるまでは仕事の関係もあって日曜日に休みがとれず、審査を受ける機会が無く時間がかかった。
ホームページやワールド空手を見ていると、後輩だった者の方が先に黒帯になった場合もある。
また、なかには二段まで昇段した者もいる。自分なりの焦りや、苛立ちがなかったかと言えば嘘になる。

また、他の支部では、私が茶帯(2級)の時に入門してきた後輩がいた。
同じ県内で転勤となり、別の道場に移籍した。
4年ほどが過ぎて、息子が県大会(この日の大会は祝日だった)に出場した時に試合会場で、茶帯(1級)になっていたその後輩に「押忍、久しぶりです」と挨拶された。
道着姿で現れた後輩は試合に出場するようだった。
「今日は、息子のセコンドで来ました。頑張って下さい」と声を掛けたが、私は2級のままだった。

この日は、以前の道場で共に切磋琢磨してきた同じ茶帯だった仲間が、黒帯になった姿で大会に出ており、一般部の軽量級で優勝した。
黒帯になった姿も、優勝した姿も嬉しさもあったが、自分だけ取り残されているような複雑な思いがあった。
一緒に厳しい練習をしてきた仲間だけに、そこに自分の姿を重ねたりもした。
自分が大会に出たなら、この仲間のように優勝したいとも思った。

しかし、全国各地に共に汗を流した仲間がいて、頑張っている情報が入ってくることは自分の励みになる。
いつの日か何かの機会で、また共に汗を流せることがあれば嬉しく思う。
昔の仲間に刺激され頑張ろうと思った日だった。


押忍。




 
  当ホームページ「黒帯〜Black Belt〜」に掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。  
Copyright (C) Kuroobi All Rights Reserved.