黒帯〜極真空手の黒帯になるための徹底ガイド〜
 
 
 
 管理人・左衛門 極真空手修行記

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 黒澤浩樹館長  左衛門極真空手修行記(2017/3)


先月の3月25日、聖心館空手道黒澤浩樹館長が急性心不全のため、他界されました。
心よりご冥福をお祈り致します。

私が最初(高校生の頃)、極真空手を始めた時、第16回全日本大会で優勝したのが、黒澤館長でした。
当時は現在のようなインターネットも普及していない時代でしたので、当時の機関紙「パワー空手」で名前を知り、映画「キョクシン」で試合風景を見て、衝撃が走ったのを今でも覚えている。
孤高のサムライ、格闘マシーンそのものだった。
全日本大会初出場で史上最年少優勝の大偉業である。

極真空手に再入門した頃(30代最初)より、ウェートトレーニングを行っている事は前回触れたが、そこに大きな影響を与えたのも、黒澤館長の存在が大きかった。
再入門のきっかけになったのは、第6回世界大会をテレビ放送で見たことだった。
高校生当時、全日本チャンピオンだった黒澤館長が、今もなお現役で活躍しておられた事が嬉しかった。

極真会館が分裂し、新しく機関紙になった「ワールド空手」や、他の格闘技雑誌等に黒澤館長の記事があれば片っぱしから読んだ、黒澤館長のビデオや、世界大会前後のビデオも買って食い入るように見た。
東京で仕事の用事があった時には、城西中野支部に見学にも行ったこともある。

正確には、再入門する少し前から、ウェートトレーニングを始めていたが、黒澤館長がウェートトレーニングを行っている事知って、俄然やる気になった。
当時黒澤館長はベンチプレスで200kg、スクワットで300kgを挙げていた。正直「バケモン」だと思った。
それでも少しでも近づきたい思いで頑張ってきた。

第16回全日本大会から第6回世界大会までの、下段回し蹴りを中心に闘っている試合のビデオは何百回も見て研究した。
私は、背も低く足も短い。
上段回し蹴りも練習してはいるが、黒澤館長の下段回し蹴りで相手を倒すスタイルが好きだったから、自分が試合をする時は、こういう倒し方がしたいと思って何度も練習した。
数少ない試合経験の中で、一本勝ちは一度もなかったが、下段回し蹴りで相手を苦しめる事は出来たと思っている。試合前のイメージトレーニングは、黒澤館長の試合のビデオを見る事だった。

その黒澤館長が、極真空手を離れ「黒澤道場」を作られた時は残念だったが仕方がない事だったと思った。
また、PRIDE1で膝を怪我された時は、元のように怪我が治り強い蹴りを蹴れるようになるように復活を願った。
その後、PRIDE6での角田師範との復帰戦には、目頭が熱くなった。

黒澤館長は、「Be Humble」という言葉を座右の銘にしていた筈だ。
「謙虚であれ」とか「謙虚でありたい」という意味だと思う。
黒澤館長程の実力があっても、己の名声に慢心することなくありたいという事だろう。
「聖心館」という名前も、高い志を持って空手を普及させて行きたいという思いからのネーミングだと思う。
私も志を高く持って頑張っている。

最後に、黒澤館長ありがとうございました。


押忍。




 
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